学ランやセーラー服は軍服がもとになっているという件について考察!

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今回は学ランやセーラー服と軍服の関係について考えていきます。実は軍服がもとになっていると言われていますが、いったいどういうことなのでしょうか?ということについて調べてみましたので最後までご覧いただければと思います。

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学ランの詰襟(つめおり)は軍服からきている件について。

日本の学ランは詰襟ですが、実はヨーロッパの軍服をモデルにしたと言われています。明治時代にヨーロッパの制服を軍隊に取り入れました。その後に学校の制服に詰襟が採用されるようになったということです。なぜ学校の制服にこのようなことがされたのかということですが、子供のころから軍国主義的な考えを身に着けさせようとしていたということが目的だったようです。明治時代に日本はヨーロッパの国々に追いつこうとあるいは追い越そうかとしていたということが関係しているみたいですね。さらに女子のセーラー服に関しても関係があります。ここからはそのことについて触れていきます。

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セーラー服の起源は軍服からきている件について。

セーラー服は海軍の制服(軍服)からきています。もともとイギリスで海軍に共通して使える軍服ということでつくられ、そのイギリスのセーラー服が日本でも採用されたということです。セーラー服の胸元が開いている理由は海に逃げた時に泳ぎやすいということからと言われています。日本ではこの当時軍服に対するあこがれが強く、最初に1920年、京都の平安女学院で採用されてから全国的に広まっていったということです。僕たちが何気なく見ている制服ですが歴史があったということですね。日本は昔は軍国主義であるということが言われますが、おそらく軍服以外にモデルになるものがなかったのではないか?ということも考えられます。ふとしたときに考える内容かなと思って今回調べてみました。何かしらの参考になっていただければ何よりです。ということで今回の記事はここで終わりです。最後までごらんいただきましてありがとうございました。

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