長崎バスジャック事件について考察!

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今回は長崎バスジャック事件について調べていきます。どのような事件だったのか?ということや事件に関しての気になる情報についてまとめていきますので最後までご覧いただければと思います。ということで早速書いていきます。

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長崎バスジャック事件について。

長崎バスジャック事件というのは1977年に起こったバスジャック事件です。ふたりの犯人が阿蘇連合赤軍(あそれんごうせきぐん)を名乗って銃や爆弾を所持しバスをジャックしました。ここまでの流れからすると赤軍という政治的なことかと思いますが、この事件の犯人は赤軍を模倣していただけで本当の狙いは身代金ということでした。この事件で注目されていることについて触れていきます。

長崎バスジャック事件の報道で注目された重水という警察官のプロ魂について。

この当時は特殊部隊というものはなく、この事件には警察官が全員で犯人逮捕と人質救出に望みました。そのときに対策がないということで警察はこのバスと同じ大きさでどのようにバスの中に入るかを練習していました。あまり時間がかかってしまうと人質に被害が出てしまうということで短時間でどうすればいいのかを研究していました。どうしても時間短縮がはかれないことから警察官は身軽になるために防弾チョッキを脱ぎました。自分の命よりも人質救出と犯人逮捕を考えていたということです。このときに警察の特殊班をしきっていた重水という人が犯人に対して人質をうつなら自分のことをうてと犯人にいってここから警察がバスの中に突入していきます。この時間はわずか1分以内ということでした。この突入でバスの中にいた人質は16人全員無事に救出されました。良かったですね。そして気になるのが犯人はどうなったのか?ということですね。そのことについて調べていきます。

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長崎バスジャック事件の犯人はどうなったのか?

この事件の犯人は2人いますが、バスに警察が入る際に発砲したことで主犯はこの弾が当たり死亡しています。もうひとりの犯人は重傷を負いましたが助かり、その後に懲役6年の刑を受けています。そしてこの事件の後に気になることがありますのでそのことについて最後に触れていきます。

長崎バスジャックの車両について。

実はこの事件のバスですが事件後に長崎県の山の中で発見されました。バスの外観は当時のままだったということです。地元の長崎ではバスジャックの車両が放置してあったということで見に行った人もいたということです。この山の中からその後移動されることになっているみたいですが、この後どうなったのか?ということや経緯については分かっていないということです。長崎バスジャック事件が起こってから現在で40年以上経過していますが、今後このようなバスジャック事件がおこらないことを僕は切に願っています。ということで今回の記事はここで終わりです。最後までご覧いただきましてありがとうございました。

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