三菱銀行人質事件という鬼畜な梅川昭美の衝撃的な行動と末路について。

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今回は三菱銀行人質事件について書いていきます。この事件の犯人である梅川昭美という人物の鬼畜な行動についても調べていきますので最後までご覧いただければと思います。ということで早速書いていきます。

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梅川昭美が三菱銀行北畠支店で人質と立てこもりした事件について。

この事件ですが1979年1月26日に三菱銀行北畠支店に犯人である梅川昭美(うめかわあきよし)が人質をとりたてこもりした事件です。この事件で銀行員が2人そして警察官が2人●されています。この事件を起こした犯人の動機について触れていきます。

梅川昭美が日本の銀行強盗しようとした理由について。

犯人である梅川昭美の犯行動機は銀行から5000万円強奪しようということだったと言われています。梅川昭美には借金があったということがわかっており、この事件の時に犯人である梅川昭美が行きつけの店に警察を通じて電話してお金を返すというようなことを言っていたということが分かっていることからお金に困っての犯行だったと思いますが・・・実はこの事件が注目される理由はこの梅川昭美が事件の際にとった行動が鬼畜すぎる異常すぎるからです。ここからはその中でも特に注目される内容について触れていきます。

梅川昭美が三菱銀行人質事件で女性にした肉の盾について。

犯人である梅川昭美ですが銀行に立てこもった時に周囲を警察に囲まれていたことから銀行内にいた人たちに信じられないことを言っていたということが分かっています。このことは肉の盾と言われており、周囲を囲まれていた狙撃隊から自分の身を守るために男性には上半身を●にして、女性は全●にしていたと言われています。しかも女性が洋服をぬぐときには細かい指示をだしてその姿を楽しんでいたとも言われています。まさに鬼畜ということがわかります。さらにこの事件で実は恐怖と言われている情報に関してここから書いていきます。

梅川昭美の三菱銀行人質事件が怖すぎる件について。

実はこの事件で犯人である梅川昭美が気に入らなかった銀行員がいたと言われており、その銀行員に発砲したんですが実は弾が急所を外れていたということだったんですが、その倒れていた銀行員に対して生きているのかどうかを確認するために耳を切り落とせと言ったという情報があります。この銀行員は生きていましたが、ナイフで耳を切られて気絶したと言われています。この耳をきられた銀行員はその後は助かったということが分かっています。このようなことをさせるということから考えても梅川昭美がいかに鬼畜なのか?ということがわかります。そしてここからはこの事件のまとめについて書いていきます。

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梅川昭美の事件の末路について。

実はこの事件は周囲を警察が囲んでおありましたが、中でいったいどのようなことが起こっているのか?といったことが警察も把握できずに苦戦していましたが、警察の突入班も様々なことを考えた末に突入して犯人である梅川昭美に発砲しました。この警察の発砲が梅川昭美にあたり死亡したということです。犯人が射●されたという結末です。しかしこの犯人が射●されて結末となりました。ここに至るまで42時間という時間がかかったということです。ここからは事件のその後に関する気になる情報について触れていきます。

三菱銀行人質事件のその後はどうなったのか?

多くの人が気になるのがこの事件の後の三菱東京UFJ銀行北畠支店ですが、名前が三菱UFJ銀行北畠支店という名前が変更されていますが、この銀行の内側は全面的に改装されていますが建物はそのままの状態で使用されているということです。建物がそのまま使われているというのも複雑な感じがしますが・・・そしてこの事件で僕がかなり気になることがあるので、そのことについて触れていきます。実は他の事件でも注目される少年法ですがこの事件にも関係していたんですね。

梅川昭美と少年法の関係について考察!

この事件の犯人である梅川昭美は過去に21歳の女性の家に強盗に入りこの女性を●したという強盗●人の前科があります。しかしこの犯行に及んだ時の年齢が15歳でした。この後に実は梅川昭美は猟銃を持っています。本来は銃刀法のことから他人の生命・財産・安全を害するものには認められませんが、梅川昭美が銃刀法を申請したときにはこの強盗●人をおこしてから10年以上たっているということからその後犯罪歴もないということから銃刀法の申請が通ったということです。ちなみに少年法には

少年の時に犯した罪で刑に処せられ、執行を終わったりした者は資格に関する法令の適用を受けない。

ということがあるみたいです。そして梅川昭美は猟銃で練習してこの事件の際に銃を使いこなしたということが言われています。僕は思いますがこの少年法が実は大きな問題だったのではないか?と思います。この事件が1979年ですが、この時から少年法という大きな問題があったということですね。この世の中にもしはないですが、少年法で梅川昭美に銃をもたせなければこのような悲惨な事件が起こっていなかったのではないか?と僕は感じます。そしてこの事件でも少年法が変わらなかったということです。僕はこの事件で亡くなった人や悲惨すぎる想いをされた人に対して悲しみの気持ちでいっぱいいですが、その原因である少年法が変わらないことに関しては大きな疑問があります。この事件のあとに少年法が改正されていれば悲惨な事件にあうひとが少しは減るのではないか?と真面目に思います。みなさんはどう思われますか?ということで今回の記事はここで終わりです。最後までごらんいただきましてありがとうございました。

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