白鳥由栄(しらとりよしえ)という昭和の脱獄王について考察!

Pocket

今回は白鳥由栄という人物について調べていきます。この人物は何回も脱獄をしていますが、その脱獄の仕方は多くの人の関心が集まっています。今回はそんな白鳥由栄について様々な角度から調べていきますので最後までご覧いただければと思います。

スポンサーリンク




白鳥由栄という人物の人間離れした能力について。

白鳥由栄という人物ですが実は身体能力の高さがずば抜けていたということが分かっています。

●一日に120キロ走ることが可能だった

●40歳をすぎても米俵を両手に持って手を水平にできた

●自分の身体の全身の関節を脱臼できた

一日120キロ走れるということはすごいですね。スポーツ選手以上なのではないのか?と僕は思います。また米俵を両手に持って手を水平にできたということもすごい力だなと思います。さらに驚くことは自分の関節を脱臼できたということです。この関節を脱臼するということを脱獄の際に使っています。ということでここからは白鳥由栄の脱獄について書いていきます。

白鳥由栄の脱獄の経緯について。逃亡不可能とされた網走刑務所も脱獄した!

白鳥由栄は生い立ちが貧しかったことがあり、ある家に盗みに入りそこで人を●しました。この時に共犯者がいましたが、この共犯者が別件で逮捕されたことで義理堅い白鳥由栄は自首しました。そこからまず青森刑務所に入りました。そしてこの青森刑務所を脱獄しますが、この脱獄劇がすごいんですね。青森刑務所では独房に入れられており、外に出ることはめったにできませんでした。外に出るときは用を足すときだけでしたが、このときに白鳥由栄は針金を見つけて窓と鍵穴の位置を確認していました。そしてここから窓と鍵穴の形を確認してなんと針金で合鍵を作ったんですね。そして看守が交際するわずか15分の間に脱獄しました。針金一つで合鍵を作って脱獄したということです。続いて2回目は秋田刑務所を脱獄します。この秋田刑務所の脱獄について書いていきます。秋田刑務所の脱獄の際にも白鳥由栄はブリキとクギを使ってのこぎりを作りました。この自分で作ったのこぎりで天井の腐りかけていたことに注目して天窓のワクを切って、璧を上り、天窓を外して屋根にでてそこから刑務所の裏側に回ってレンガの塀を超えて脱走したということが分かっています。その後白鳥由栄は網走刑務所に入ります。この網走刑務所は逃亡することは不可能と言われていますが、白鳥由栄はこの網走刑務所も脱獄します。白鳥由栄は網走刑務所では手錠をかけられていましたが、この手錠を毎日自分の歯でかみつき緩めました。そして扉の鉄格子をなんとかならないかと考えた結果食事の味噌汁の塩分をかけることによって緩まるのではないかと考え、毎日扉の鉄格子に味噌汁をかけて鉄格子をゆるめさらに手錠をも緩んだことで脱獄のタイミングを狙っていました。そして停電が発生した際に手錠と鉄格子を外して天井から塀を超えてわずか20分の間に網走刑務所を脱獄したということです。さらに4回目の白鳥由栄の脱獄について触れていきます。札幌刑務所では白鳥由栄は24時間監視されていたが、その中で床に注目しました。床の下を探ってみたところ土があったことから、この床の下から脱獄できるのではないかと考えた白鳥由栄は洗面用の桶の鉄タガと取り調べの部屋のクギを組み合わせてのこぎりをつくり、こののこぎりで床板を切って床下におりて土を掘って外に出て脱獄したということが分かっています。このような脱獄を起こした白鳥由栄です。そして最後に僕の思うことを書いていきます。

スポンサーリンク

白鳥由栄はきっと歴史に残る日本の脱獄王だと僕は思います。

白鳥由栄は昭和の脱獄王と言われています。また看守たちの間では一世を風靡した男とも言われています。そして白鳥由栄はこのようなことを言っています。

人間のつくった房ですから、人間がやぶれぬはずがありませんよ

白鳥由栄の脱獄は看守に暴力をふるうこともなければ、人質をとるということもありませんでした。そして白鳥由栄は脱獄に関しては人間が作っているから人間に破れないことはないと言っています。このあたりの考えもすごいなと思います。そして白鳥由栄は最後に府中刑務所に服役していましたが、このときは模範囚として府中刑務所を出た後は建設現場で働いていましたが、1979年に心筋梗塞で亡くなっています。僕は白鳥由栄は日本の中で中でトップの脱獄王なのではないか?と思います。白鳥由栄は何回も脱獄をしているし、罪を犯している犯罪者ですがこの脱獄の仕方や人間がつくったものは人間が破れないことはないといったことが多くの人が関心をもつ理由なのかな?と思いました。ということで今回の記事はここで終わりです。最後までご覧いただきましてありがとうございました。

スポンサーリンク