今回は世田谷女児餓死事件について調べていきます。この事件についてですが、実はかなり奥というか闇が深い事件だと僕は思います。いったいなぜそう感じるのか?ということについて僕なりの解釈を書いていきますので最後までご覧いただければと思います。
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放置された子が亡くなった子供の餓死事件と報道された事件でした。
まずこの事件はいったいどのような事件なのか?ということやこの事件がどのように報道されたのか?ということについて触れていきます。1975年5月8日に世田谷区の三井銀行本店企画室次長が妻が出産しているときに2歳の身体障碍のある子供(次女)を餓死させたというような報道でした。ここまでの流れからすると完全に父親が悪いという印象をもちます。ちなみにこの父親はその後自ら命をたっています。そのことについては記事後半部分で触れていきますが、この事件についてもう少し疑問点に追求していきます。実はこの事件に関してはこのような報道もありました。
東京大学卒業銀行員のエリートが障害者の子供を虐待死させた?
この父親はエリートな経歴を持っていたということが分かっています。東京大学を卒業して銀行員になりエリート街道を走っていたということです。そんなエリートな父親が障害を抱えている子供で何も抵抗できない子供に食事も水も与えないということから虐待そして餓死に追い詰めたというもの。ここまでの流れですがこのように解釈できませんか?エリートの銀行員の父親は障害児の子供が邪魔になって食事も水も与えなかったという解釈です。憶測になりますが、父親にとってこの子供は邪魔だったという解釈になりますね。しかしこの事件の真相は違うということも分かっています。いったい何が違うのか?ということについて書いていきます。
事件の途中経緯を考察!
実はマスコミ報道されたこの障碍者の子供は重度の障害をせおっていた。言葉が理解できないし、自分でよちよち歩きはできるが自分では食事がとれなかったということです。この障害のある子供は植物人間と言われたり、またこの父親がベッドに閉じ込めて虐待していたというようなことが報じられていたみたいですが話に食い違いが生じるということです。そしてこの事件はこのような展開を迎えます。
父親が自ら命を絶った真相について。
実はこの障害のあった子供に対して父親は少しでも何か食べさせようと懸命だったという情報があります。しかしそんな父親の懸命な努力もむなしく、この子供は食べることができなかった。そしてその結果娘は亡くなった。ここまでの流れを考えると実は正反対のことであることが分かります。マスコミの報道では父親は食事や水を与えずに障碍者の子供を●した。しかし別の情報では父親は娘に水や食事を与えるも娘が食べれないことで亡くなった。この父親の行動が肯定的なのか?それとも否定的なのか?という正反対の解釈です。そしてこの父親は警察にもひどいことを言われたという情報があります。いったい何を言われたのか?ということですが、警察はこの父親を犯人であると決めつけて計画的に犯行をしたんだとか人非人といったそうです。そしてこの父親は有罪になるなら生きている意味がないと思って線路に自ら飛び込んで命を絶ちました。ここからはこの事件について僕の感想を書いていきます。
この事件の本当の犯人は誰なのか?
この事件一見すると父親が障害のある子供を虐待して●したという事件と解釈しがちですが実は違うのではないか?と僕は思います。僕の解釈なので正しいかどうかわかりませんが、この父親は障害のある娘のことを考えていた。虐待もしていなかったと思います。しかしマスコミが情報をあおったがために多くの人が誤解した。そしてその新聞の情報が父親を追い詰めた。実はこの娘の母親の証言があります。この障害をもっていた娘はすでにこん睡状態だったといっています。このことからも父親が●したという可能性が極めて低くなります。そしてこの娘の母親はこの父親が有罪になったということから旦那は家に帰ってこないという不安や心配があったと言われています。そしてこの不安や心配が的中してしまい、父親は線路に飛び込んでしまった。この事件で本当に悪い人間は誰なのか?と問われたら僕ははっきりした情報がないまま記事を書いたマスコミの記者なのではないか?また警察も犯人と決めつけて最初からこの父親の話をきかなかったということです。実はこの事件の一番の被害者はこの父親なのではないか?と僕は思います。障害のある娘をなんとかしようと思ったもののどうにもならなかった。それは仕方がないことだったのかもしれません。しかし自分が●人扱いされて生きていく希望をなくして絶望の果てに人生の最期を決めてしまったということなのではないでしょうか?実はこの事件はすごく考えさせられる事件だなと僕は思います。みなさんはこの事件どう思われるかな?と思います。ということで今回は僕なりの解釈を書いてみました。ということで今回の記事はここで終わりです。最後までごらんいただきましてありがとうございました。