猪原修くん行方不明事件について考察!

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今回は猪原修くん行方不明事件について調べていきます。この事件は子供が消えた事件ですが、行方不明になった子供も見つかっていないですし犯人も逮捕されていないという事件です。この事件はいったいどのような事件なのか?また裏側には何が隠されているのか?ということを考えながら憶測していきますので最後までご覧いただければと思います。

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信じるか信じないかはあなた次第です。

今回の記事の内容は僕のリサーチした解釈なので信じるか信じないかはあなた次第です。ほとんど誰も言っていない内容について触れていきます。消えた子供もどうなったかわからないし、犯人も分からない。あるいは事件後におこることも分からないと言われていますのでどこかから分かれる方法はないのか?事件を完全に隠すことはできないと僕は思うので分かっている情報と知識をぶつけて考えていきます。まずはいったいどのような事件なのか?について触れていきます。

猪原修くん行方不明事件とはどのような事件なのか?

この事件は1973年7月3日におこりました。猪原修の母親が出産するために病院に母親と父親と猪原修の3人で来ていたんですが母親の診察中に猪原修が突然消えました。この当時の服装は半そでに半ズボンに素足だったということから誘拐された可能性が高いということです。猪原修が突然消えたことから警察や消防も探しましたが全く見つかりません。そしてこの行方不明のあとに不可解なことがおこります。しかし僕はこの不可解なことの理由が僕なりに説明できると思うのでここからそのことについて触れていきます。

事件後に手紙が送られてきたがこの目的はなんだったのか?

行方不明になった後に手紙が届きました。いったい手紙の内容はどのようなことだったのか?ということについて触れていきます。

僕は当時19歳だったが、2年前、大津町内の旧国道57号で雨のために車がスリップして、お宅の坊やをはねて●した。当時は免許を取得したばかりで、車も買って3日目。親にしかられるのが怖くて遺体は近くの山の中に埋めた

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この手紙に関して様々なことが言われております。指紋を消すために油につけて分からなくしていたといったことや19歳ということから運転免許をとったことから犯人に対する手がかりがないのか?ということがいわれます。ちなみに警察が大人数で山を探したということですが遺体も見つからなかったという情報があります。僕はいろいろ調べてこの手紙の内容は全くの嘘であると思います。事件の犯人がこの手紙を出したのかどうかということが注目されますが僕はこの手紙を出したのは犯人の中の1人だと思います。この手紙を出したことには目的があると考えられます。

■交通事故で●した。そして山に遺体を遺棄したという嘘情報を伝えたいということでしょうね。

山に遺体を埋めたということですが、山を調べたら遺体がなく嘘でした。警察の捜査を混乱させるためだと思います。年齢で犯人は19歳なのかというようなことをアピールしています。手紙が届いているということから住所はどうやって知ったのか?ということに目をむかせたい。交通事故で子供は死んだんだということを外側にこの手紙を出して意識をそらしたいという思惑があったと思います。ではこの事件の真相や犯行の目的はいったいなんなのか?ということを憶測していきます。

事件の犯行動機や犯行目的について。

行方不明になった子供は交通事故にあったという嘘の情報を流したり遺体を山に埋めたという嘘の情報を流しています。しかし遺体は山から見つかっておらず現在もないということです。この事件は日本でおこる子供が消える事件であり、事件の目的は子供の臓器がりの可能性が高いということです。臓器がりをしての臓器売買ということでしょうね。アメリカcia傘下の人間が行った可能性の高い犯行であると僕は思います。この事件の目的を隠すために様々な偽装工作をしたのではないか?と僕は解釈しました。一見すると分からないような感じなのかもしれませんが、日本でおきる子供の消える事件の犯行目的を考えるとわかるのではないか?と思います。日本は戦後ずっとアメリカcia傘下の人間がこのような凶悪事件を日本国内でひきおこしているという可能性が高いと思います。僕の解釈なので正しいかどうかわかりませんが何かしらの参考になっていただければと思います。最後までご覧いただきましてありがとうございます。

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