日本の学校教育が生徒からあらゆることを奪っている件について考察!

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今回は日本の学校教育について考えていきます。戦後の日本の学校教育というものはいったいどんなことなのか?ということを真剣に考えていきますので最後までご覧いただければと思います。

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日本の戦後の教育には弊害点が多い件について考察!

日本が戦争に負けてアメリカの属国あるいは支配下になってからアメリカは日本人がいかに考えないようになるかということを教育の中に取り入れているのか?ということが考えられます。日本人は潜在能力が高いのでなるべく考えさせないことをさせることで弱体化をさせようとしたということが考えられます。いったいどういう人間を作ろうとしたのか?ということですが、平均的で何かに突出しないそして権威に従順な人間にしようとしていたということです。何かに突出すると支配しにくくなるさらに権威に従順なことでアメリカが支配下に置きやすくなるということだと僕は思います。このようなことが日本の学校教育には含まれているということを知ったほうがいいと思います。もう少し言い方を変えると生徒の可能性を潰しているのではないか?と思います。いったいどのような形で潰しているのか?ということについてここから考えていきます。

日本の戦後の教育では生徒の可能性を学校が潰している!

僕が思うことなので正しいかわかりませんが本来学ぶというのは主体的なことであるはずだと思います。勉強する場所も自分で選び何を学ぶのかということも自分で選ぶということです。嫌々させる勉強から何かが生まれることはないと僕は思います。もう少し生徒の主体性を重んじたほうがいいと思います。続いて気になる情報について書いていきます。

日本の戦後の教育が生徒の関心をうばっている。

日本の戦後教育はなるべく生徒に関心を持たせないようにしていると僕は思います。疑問を持たないようにしているというかなるべく関心を持たないようにしているような気がします。あとシステムの関係なのかもしれませんが、必ず授業を時間通りに終わらせます。生徒が何かに関心を持ってもチャイムで授業は終わりです。これも本当はおかしいと思います。学ぶことが目的なわけですから授業の終了時間が目的となることがおかしい気がします。このように何が目的なのか?ということも分からなくなっている感じがします。このようなことから生徒も授業が終わるまで嫌でも受けるということになってしまうのではないか?と僕は思います。また日本の教育ではこのようなこともされています。

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日本の戦後の教育は自分で決めないような人間になるような教育をしている。

日本の戦後の学校教育というのは自分で決めないあるいは判断させないで教師の判断を待つということになっていると思います。生徒が勉強することや生徒がしたいことを教師が決めるということです。そして学校の中での生徒の定義が極めていびつである件について触れていきます。

★いわゆる優等生:教師の考えに反対しない人間

★いわゆる劣等生:教師の考えに反対し自分で物事を考えて決定しようとする人間

ここで思いますがどちらの人間の方が本当の意味で優秀なのでしょうか?大きな疑問が残ります。さらに気になる情報について触れていきます。

日本の戦後の教育は人間関係の信用を教えない。

日本の戦後の教育では生徒のことを教師が見張っているということを暗黙に教えます。学校が終わっても宿題ということで生徒の学校外のことに遠回しに見張りをあたえ、子供には見張りがあるということを意識化に刷り込ませる。そして子供に他人は信用できないということを意識化に刷り込みます。このようなことが教育現場で行われている可能性が非常に高いということです。このような教育を受けた生徒は物事に関心がなくなったり集中できなくなったりします。また他人に関心がなくなったり正直に生きることを嫌ったりという人間になるとも言われています。このようなことが日本の教育現場において行われているということです。このようなことがあるということを把握して考えを変えたほうがいいと思います。最後にきじのまとめを書いていきます。

昔の日本ではこのような教育は行われていなかった。

昔の日本にはこのような教育はありませんでした。昔の日本の教育は生徒の可能性をかりとったりあるいは生徒に劣等感を与えたりということはありませんでしたが、日本の戦後教育ではこのようなことが行われているということを少し意識して少しずつ変わっていくことが必要なのではないか?と僕は思います。今回の記事がなにかしらの参考になっていただければ何よりです。ということで今回の記事はここで終わりです。最後までご覧いただきましてありがとうございます。

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