京都認知症母殺害心中未遂事件と片桐康晴について考察!

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今回は京都認知症母●害心中未遂事件とこの事件をおこした片桐康晴について調べていきます。この事件は犯行に及んだ片桐康晴に対して多くの人が同情したというすごく考えさせられる事件です。この事件について僕の解釈を含めて書いていきますので最後までご覧いただければと思います。

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認知症の母親をこれ以上介護は無理だと感じて追い詰められた結果の悲惨な事件です。

京都認知症母●害心中未遂事件というにはどういう事件なのか?というと認知症になった母親を金銭的にどうにもならなくなってこれ以上は介護は無理だと感じたことからいきた悲惨な事件です。最初に僕の感想を書きますが、この事件で行政の人間がもっと親身になって生活保護の話を聞くあるいは向き合っていれば防げたのではないか?ということをすごく感じる事件です。本当に悔しくもあり、悲しい事件です。このことを踏まえて事件の内容について触れていきます。

京都・伏見認知症母●害心中未遂事件について。

この事件をおこす片桐康晴ですが、もともとは母親と父親と3人で暮らしていました。父親は西陣織の職人をしていたんですが、不況のあおりをうけて経営していた店がつぶれてしまいました。そしてこのこともあってか父親が病気で亡くなってしまいました。その後に片桐康晴と母親の2人で暮らしていくんですが母親は旦那が病気で亡くなったことから認知症になってしまいます。そしてここから母親の認知症が悪化していき、片桐康晴は仕事をしながら母親の面倒を見ていましたが母親の認知症が悪化したことで仕事をしながら母親の面倒を見れないということで仕事を辞めることになります。最初は失業手当がありましたが、その失業手当もなくなりカードローンでその場をしのいでいたということですがどうにもならないということで生活保護の申請に行きます。しかしここで悲劇がおきます。生活保護の申請をしたらまだ働けるということで生活保護の申請が通らなかったということです。このときには片桐康晴は母親の面倒を見て仕事を辞めていたので収入はありませんでした。母親の年金だけで月に3万円もなかったと言われています。生きることに困窮していたことから、なんとか片桐康晴は生活が立ち直るまでと頼むものの取り合ってもらえませんでした。おそらくここで生活保護を断られたことからこの事件を考える要因になったと考えられます。その後にどんどんお金が無くなって厳しくなっていく中片桐康晴は自分は食事を週に3回にしていたということです。そしてお金をなんとか節約して母親にご飯をたべさせようとしていたようです。ここまで経済的に困窮していることから誰かに頼れなかったのか?と思いますが、片桐康晴は生前の父親の言葉を胸に刻んでおり頼らなかったということです。父親が他人に迷惑をかけないということや人にお金を借りるなら切り詰めるということを生前言っていたことからだれにも頼らず自分で何とかしようとしていたということでしょう。しかし現実的にお金が底をつきそうになったときに母親を●して自分も死のうということを決めたということです。そして住んでいたアパートを綺麗に片付けて犯行にうつります。母親にどこにいきたいかということを聞いたら人の多いところといったことから繁華街にいき、その後に河川敷にいき犯行に及びますがこのときの言葉が胸につきささります。そのことについて触れていきます。

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母親が最後にいった言葉がそうか、あかんかだった。

片桐康晴と母親の会話が分かっています。片桐康晴が母親に泣いてもういきられんといったときに母親が

そうか、あかんか。一緒やで、お前と一緒やで

こっち来い、こっち来い、康晴はわしの子や、わしの子やで、わしがやったる

といったそうです。この話を聞いて片桐康晴は涙をこらえて母親の首を絞めてナイフで首を●して●したということです。その後に木で首つり自●をはかりますが、通行人が気が付いて自●未遂に終わりました。そしてこの事件の裁判についてかなり注目されました。そのことについて触れていきます。

京都・伏見認知症母殺害心中未遂事件での裁判は片桐被告に温情判決が下された。

この事件の判決ですが多くの人が注目していましたが、片桐康晴に温情判決が下されました。片桐康晴が母親の認知症を真剣に考えて介護していたことや裁判中に片桐康晴が自分が母の命を奪ったがもう一度母の子供にうまれたいということを言ったことが裁判官の心に届いたということです。裁判官が泣いていたということです。そして生活保護が受けられなかったことも注目され、懲役2年6か月執行猶予3年という温情判決でした。この裁判では傍聴していた人たちも涙していたと言われています。片桐康晴が罪を犯したという単純なはなしではなく、なぜそうなってしまったのか?ということを多くの人が考えたということですね。僕もすごく考えさせられました。最初に僕が書きましたが生活保護ということがうまく機能していればこの事件はおこらなかったとも考えられます。そして気になるこの裁判の後の片桐康晴の現在について調べていきます。

京都認知症母●害心中未遂事件後の片桐康晴の現在について。

片桐康晴はこの判決後に木材の会社に勤務していたということが分かっています。しかし不況の影響でこの会社を解雇されてしまったということです。そしてその後に片桐康晴は琵琶湖で投身自●をはかったということです。片桐康晴が亡くなった時には母親のへその緒を持っており一緒に焼いてほしいという手紙が残されていたといいます。つまり片桐康晴も現在他界されているということです。この片桐康晴と母親の亡くなったことは多くのことを考えさせられますね。

★生活保護をきちんともらえていればかわったんじゃないか・・・

★父親の言葉を聞いていても周囲の人が何かしら早く気が付くことができたら変わっていたのではないか・・・

片桐康晴はすべてのことを自分の中に抱え込んで生きることに絶望してしまったんだと僕は思います。片桐康晴と母親のご冥福をお祈りいたします。ということで今回の記事はここで終わりです。最後までご覧いただきましてありがとうございました。

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コメント

  1. 鈴木 より:

    この件の判決はニュースで知っていたが、その後自殺されたことは最近知った。働きたくても働き口がない、介護していては尚更という現実。裁判長が「本件で裁かれるのは被告人だけではなく、 介護保険や生活保護行政の在り方も問われている。 こうして事件に発展した以上は、どう対応すべきだったかを 行政の関係者は考え直す余地がある」とまで断じたこの裁判後も、生活保護行政は改善されていない。中には不正受給の者もいるだろうし(0.数%)、働いていても生活保護以下、いわゆるワーキングプアと言われる人も多い。条件の悪い方に合わせ、申請不受理がまかり通る。そんな中でコロナ禍で一層悪化している国民生活に、一律再給付などを求める声に「最終的には生活保護がある」と平然という総理大臣。野党議員の中でこの事件を知っている人はいないのか?総理の無責任発言に、この事例を引用して追求しようという人はいないのか?
    ただただ祈るは、この親子が天国で一緒に幸せに暮らしていてくれることだけである。

    • Faf-4xP0jv より:

      コメントありがとうございます。
      考えさせられる事件ですね。
      僕も感じますが今現在は生きるのが大変な時代になりました。
      僕も思うことがいろいろありますのでいただきましたご意見を
      考えたいと思います。