三島由紀夫が楯の会と起こした事件について考察!

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今回は三島由紀夫が起こした三島事件について調べていきます。この事件は今現在も関心を持っている人が多い事件で謎めいた部分もありますが、僕なりの解釈をお伝えしていきますので最後までご覧いただければと思います。ということで早速書いていきます。

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三島由紀夫が楯の会と起こした事件について考察!

通称三島事件と言われている三島由紀夫が起こした事件です。この事件は楯の会という三島由紀夫がつくった軍隊的な集団のメンバーと起こしました。楯の会というのは民間の防衛組織ということです。この楯の会のメンバー4人と起こした事件ですが、実はこの事件をおこす前に三島由紀夫の考え方や思想が関係していると言われているので、そのことについて触れていきます。

三島由紀夫の思想について。

三島由紀夫と言えば文章の能力がものすごく高く、多数の本も書いています。その三島由紀夫の思想というのが天皇制復活ということでした、天皇中心の思想をもっていたということなんでしょうね。そしてこの三島由紀夫の事件と関係しているのが三島由紀夫の自衛隊に関する考え方と言われています。ここからはそのことについて触れていきます。

三島由紀夫は自衛隊と考えが違ったことから演説したのか?

三島由紀夫は自衛隊の在り方に何かしら自分と考えの違いがあったことを伝えようとしたのではないか?と言われています。天皇にすべてをささげる必要が自衛隊にはあると三島由紀夫は思っていたようでそのことから事件につながっていきます。三島由紀夫は市ヶ谷で総監を監禁し、自衛隊員を全員集め約2時間の間自衛隊が自分たちに攻撃しなければ2時間後に総監を返すといいました。もしも自分たちを攻撃したら総監を●して自分も●ぬといってそこから演説しました。この演説の中で三島由紀夫は自衛隊に憲法改正のために自衛隊員が奮起してくれという内容を話しました。しかしこの三島由紀夫の話は自衛隊員には全く届いていなかったということです。三島由紀夫は自衛隊の中の精鋭部隊に自分の話をしたかったようですが、この日に自衛隊の精鋭部隊は他の場所で訓練しており市ヶ谷にはいなかったということです。そしてこの演説後に三島由紀夫はある行動に出ます。そのことについて触れていきます。

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三島由紀夫は演説後に切腹自決した。

三島由紀夫は演説を終えて総監のところに戻りました。そして三島由紀夫はここで切腹します。しかし切腹にはその後に最期を決める人が必要ということで、ここからの内容がかなり衝撃的ですが、その内容について触れていきます。

三島由紀夫の最期は介錯(かいしゃく)で首の写真が週刊誌に掲載された?

切腹した後には介錯(かいしゃく)といって、切腹した後に後ろから切腹した人の首をきることがいるということです。人間は切腹しただけでは死なないということだからです。三島由紀夫が切腹した後に首を切り落とされましたが、この写真が1984年のフライデーに掲載されて話題になりました。この写真は切断された三島由紀夫の正面からのものでかなり内容的にきびしいものとされています。フライデーには三島由紀夫の家族から抗議があり、この掲載した写真は数日後に回収したという情報があります。三島由紀夫は文学界では有名な人物でしたが、壮絶な最期を遂げて今もなお多くの人の関心を持たれているということですね。三島由紀夫は自分の命をかけて伝えたいものがあったということだったんでしょうね。ということで今回は三島由紀夫のおこしたクーデター事件について僕なりに感じたことを書いてみました。ということで今回の記事はここで終わりです。最後までご覧いただきましてありがとうございました。

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