今回は玄蔵川水難事故について調べていきます。多くの人が関心を持っている内容についてわかる限り調べてお伝えしていきます。
Contents
- 1 ドキュンの川流れと生き残りについて。
- 1.1 玄倉川水難事故というが本当は玄倉川の事故ではなく、玄倉川13人死亡事件なのではないか?
- 1.2 リーダーと言われる加藤直樹は無知にもかかわらずキャンプを楽しんで非難しなかった!
- 1.3 加藤直樹の顔写真はあるのか?富士繁という株式会社の社員というのは本当か?
- 1.4 玄倉川水難事故はなぜdqnの川流れ(ドキュンの川流れ)と言われるのか?
- 1.5 dqnの川流れの生き残りの加藤直樹のその後の現在について。
- 1.6 玄倉川水難事故後の加藤直樹の娘のブログについて。
- 1.7 加藤直樹の勤務していた富士繁という会社の写真はあるのか?現在どうなったのか?
- 1.8 玄倉川水難事故が裁判になったというのはガセネタ?!
- 2 ドキュンの川流れと生き残りについてのまとめ!
ドキュンの川流れと生き残りについて。
今回の件ですが様々な言い方や名称があります。
13人という人が亡くなった悲惨な事件ですが、実はこの事件はdqnの川流れと言われたりもします。
dqn(ドキュン)というのは人をディスるときの言葉だったりもしますが、いったいなぜ悲惨な事件がこのように呼ばれるのか?といったことについてひとつずつ調べていきます。
玄倉川水難事故というが本当は玄倉川の事故ではなく、玄倉川13人死亡事件なのではないか?
玄倉川水難事故あるいは玄倉川事故と言われているこの悲惨な出来事ですが、実は事故ではなく玄倉川死亡事件と言われたりもします。
僕も感じることでこの読者さんも思っている内容だと思いますが、この事故あるいは事件は未然に防ごうと思えば防ぐ機会が何回もありました。
一体どういうことなのか?ということについてここから書いていきます。
リーダーと言われる加藤直樹は無知にもかかわらずキャンプを楽しんで非難しなかった!
玄倉川の中州でキャンプをしていた13人が亡くなった事故ですが、そもそもこのキャンプをしていた場所がキャンプ場ではなく川原(中州)だったということです。
この川原(中州)の上の方にはダムがあるのでもしもこのダムから水があふれたらこの川原(中州)がものすごく危険であるということは容易に理解できますし、実はこの事件前日の悪天候だったことからキャンプをしていた人たちが避難していました。
今回亡くなった13人は前日から数回にわたって避難勧告を受けていたにもかかわらずそのことを全く聞きませんでした。
悲惨な事故ではありますが、この事故についてなるべくしてなったと解釈している人も多いということです。
このようなことからドキュンといった呼び方が出るとも考えられます。
実際に前日にキャンプをしていて非難した人たちは助かっています。そこで気になるのが、このなくなったキャンプをしていた13人はなぜ非難しなかったのか?ということですが、はっきりとはわかりませんがこのグループのリーダーである加藤直樹が前日の避難勧告を全く無視してキャンプを楽しんでいたことが原因なのではないか?と言われています。
この加藤直樹は理解できない暴言を吐いたりしていることもありそのことがドキュンの川流れと言われる理由にもなっているんですが・・・その前にもう少しこの加藤直樹について調べていきます。
加藤直樹の顔写真はあるのか?富士繁という株式会社の社員というのは本当か?
多くの人の関心があるのが命の危機にさらされるかもしれないなかキャンプを楽しんでいた加藤直樹という人間は何者なのか?ということです。
気になる顔写真ですがはっきりしたものがありません。またいったい何をしている人間なのか?ということですが、産廃業者である富士繁という会社の社員であったことが分かっています。
そしてここからこの事件がなぜドキュンと言われるのか?ということについて調べていきます。
玄倉川水難事故はなぜdqnの川流れ(ドキュンの川流れ)と言われるのか?
今回の事件がなぜドキュンの川流れと言われるのか?ということですが、加藤直樹の発言内容や暴言あるいは行動が関係しています。
加藤直樹の身の危険を感じた人たちが非難しなさいと言ったことに対して、楽しんでいるから放っておけとか殴るぞといったり、田舎の人は臆病とか田舎の人は他人のプライバシーを邪魔するのが好きとかと言っています。
この13人が亡くなる前に地元の人たちは本気で加藤直樹のことを心配して声をかけてくれていました。そのことに対する返答がこれです。
まあドキュン!!!
さらに自分たちが流されて危険な状態の時に何を思ったのか早く助けろとか仕事なんだから早くしろといったりしています。僕が解釈する限り最低な人間だと思います。
さらにこの事件で18人が流されて13人が亡くなっていますが、加藤直樹と2人の子供は助かりました。
そして助かった加藤直樹に地元の人が善意で作ってくれたおにぎりを一口食べてまずいと地面にたたきつけたり実は自分が一緒にキャンプをしていた仲間が流されているにもかかわらずレスキュー隊に流されたテントをかえしてもらいたいと言ったりしているという情報があります。
※人間として最低であるということがわかります。
地元の方の意見を素直に聞き入れて非難していれば13人が亡くならずにすんだのではないか?と思いますし、きっとそう感じている人も多くいらっしゃるかと思います。
そして気になるのが13人は亡くなっていますが実は5人助かっており、この助かった5人はその後どうしているのか?ということが気になったので調べてみました。
dqnの川流れの生き残りの加藤直樹のその後の現在について。
加藤直樹というリーダーは事件にあとどうしているのか?ということが気になって調べてみました。今回気になって調べてみたんですが、事件の後にどうしているのか?という情報が全くなくわかりませんでした。
加藤直樹も分かりませんが、それ以外の人たちもわかりません。しかし実は加藤直樹の娘がこの事件に関してブログを書いていたという情報があるのでそのことについて触れていきます。
玄倉川水難事故後の加藤直樹の娘のブログについて。
助かった5人のうち一人が加藤直樹で実は加藤直樹の息子と娘も助かっています。加藤直樹の娘のブログ内容ですが、実はこの事故で流されたときに加藤直樹が自分を抱いていてそのときに母親が助けを求めたようですが、そのときにこの娘が母親に手を差し伸べると加藤直樹も流されるのではないか?という不安から手を差し伸べないでといったようでこのことで母親は亡くなってしまったと娘は思っているようです。
この内容だけから考えると娘がいうことに胸打たれそうですが、そもそも父親である加藤直樹のドキュン行為がこのような事故を引き起こした要因でありますし、この加藤直樹の娘のブログも自分のことしか考えていない内容ということでネット上では炎上しました。
この事故は加藤直樹が大きな要因であり巻き込まれた子供は被害者なのではないか?と思います。前日の注意勧告を聞いていればこんなことにはならなかったということです。
気になるのは加藤直樹が悪名高くなったことで会社名まで発覚していますがその会社はいったいどうなったのか?ということについて調べてみました。
加藤直樹の勤務していた富士繁という会社の写真はあるのか?現在どうなったのか?
加藤直樹の行動で会社までも有名になってしまいましたが、その会社である富士繁という会社は今現在どうなったのか?と思って調べてみたら現在も変わらずに経営されているようです。
この事件直後は大きく世の中から批判や非難を食らったようです。たしかにプライベートとはいえ加藤直樹の発言や行動がひどすぎることからいったいどんな会社なのか?ということに多くの人が疑問を持ったんでしょうね。
さらに気になる内容について調べていきます。
玄倉川水難事故が裁判になったというのはガセネタ?!
玄倉川水難事故が裁判になったのではないか?という情報があるので気になって調べてみました。亡くなった家族が加藤直樹に裁判を起こしたのか?と思ったんですが、全く情報がないのでこの裁判というのはガセネタである可能性が極めて高いですね。
ドキュンの川流れと生き残りについてのまとめ!
今回の記事内容について調べて思ったことを最後に書いていきます。
自然は危ないですし、キャンプ場ではなく川原(中州)でキャンプすることがいかに危険かということを身にしみて感じました。
また加藤直樹の人間の在り方がいかに反面教師になるのか?ということも感じました。
玄倉川水難事故とドキュンの関係についてのまとめ!
自然の怖さをきちんと理解して気を付けていれば助かった命だと思うと本当に悔しいですね。
ドキュンといいますがそんな言葉では片ずけられない事件だとも思います。
亡くなった方のご冥福をお祈りいたします。