今回はオレンジエアと日航機墜落事故について調べていきますので最後までご覧いただければと思います。
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オレンジエアと日航機事件の真相
日航機事件でオレンジエアが当たったということが言われています。
1つの説として言われていますが僕はこれは違うと思います。
理由はもしも空中の飛行機にオレンジエアが当たったら飛行機は空中で解体されているはずです。
尾翼部分をかするというようなことはできないと僕は思います。
気になる情報についてひとつずつ調べていきます。
日航機墜落事故の真相は不明だがオレンジエアーというミサイルが当たったのか?
1985年8月12日のおこった日航機墜落事故です。520名の方が亡くなったという悲惨すぎる事故ですが、この事故に関しては昔からいろいろなことがいわれています。123便という飛行機が墜落したという事故ということになっています。
真相に関しては分かりませんが、単なる事故ではないという見方があります。その中でもまことしやかにささやかれるのがオレンジエアというミサイルがあたったのではないか?ということです。
まずそもそもオレンジエアというのはどういうことなのか?ということについて調べていきます。
オレンジエアの正体とは自衛隊のミサイルのこと
オレンジエアという言葉を聞いたことはあると思います。このオレンジエアの正体は何か?ということですが、自衛隊のミサイルということです。
自衛隊が演習用に使うミサイルのことであり、このミサイルにオレンジ色の塗料が塗ってあることからこのように言われています。ここから核心的な内容について触れていきます。
オレンジエアという自衛隊のミサイルが日航機事件の原因か?
1985年8月12日には相模湾でまつゆきという船が試験運転していたということです。このときにオレンジエアという誘導ミサイルをためしていたということです。そしてこのまつゆきから2発のオレンジエアが発射しましたが、この2発のミサイルが123便に当たったということではないか?ということです。
そしてこのオレンジエアが123便にあたったということなのではないか?ということです。123便に2回あたったときにおそらく乗客がカメラでとったものだと言われています。
もちろん確証はありませんが、それは証拠となるものが隠されているということだからだと思います。そしてこのオレンジエアに関しては123便の機長は分かっていたのではないか?ということが言われています。ここからそのことについて触れていきます。
高浜機長はオレンジエアが当たったと分かっていた?!
123便の機長である高浜機長はおそらくオレンジエアが当たったということを分かっていたと言われています。なぜそのようなことが言われるのか?というと高浜機長のボイスレコーダーの記録に何かが当たったということのあとにあたったものが分かったということがのこっています。そしてここから高浜機長はさらにある行動に出ます。
高浜機長はオレンジエアが当たったということでスコーク77を出していた。
高浜機長はオレンジエアがあたったということから緊急宣言としてスコーク77を出しています。この高浜機長がボイスレコーダーにスコーク77・オレンジエアということをいっています。
このやりとりのあとに高浜機長は何か爆発したということもいっています。おそらくこの爆発で123便がおかしくなってしまい、操縦不能になってしまったといわれています。
しかし記事冒頭部分で書きましたが飛行機はこのあと飛行しています。
ここが最大の謎です。
オレンジエアと日航機の事件のまとめ
123便が墜落していくということです。このボイスレコーダーのやり取りからしてオレンジエアということから自衛隊のミサイルがあったということが言われているということです。これ以上の確証はなく、ボイスレコーダーも改ざんされているのではないか?ということも言われています。
実はボイスレコーダーの肝心な部分はカットされたあるいは編集されたという黒い噂もあります。
本当にオレンジエアといっていたのでしょうか?
飛行機が空中で分解していないということを考慮すると飛行機の尾翼部分に何かしらの細工がしてありそのことから123便は制御不能になったと僕は思います。
123便の尾翼部分に細工したのは宗主国・アメリカの可能性です。
プラザ合意で日米の経済をアメリカ有利に運ぶために日航機を事故に見せかけて撃ち落としたと僕は思います。
単なる飛行機事故でもない。
自衛隊のオレンジエアという誤射でもない。
宗主国・米の仕業であると僕は思います。