鳴海清が大日本正義団に入った経緯やベラミ事件について考察!

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今回は鳴海清について調べていきます。大日本正義団にどのようにして入っていったのか?ということや鳴海清が起こしたベラミ事件やその後どうなったのか?ということについてまとめていきますので最後までご覧いただければと思います。ということで早速書いていきます。

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鳴海清が大日本正義団に入った経緯について。

今回は鳴海清について調べていきます。鳴海清は中学生を卒業してから印刷工場に勤務しますが、あるときに喫茶店にはいったときに喧嘩を起こして相手を殴って●してしまったことから少年院にいくことになります。そして少年院を出所してからある女性と結婚して実家で食堂を経営していましたが、食堂の経営がうまくいかず893の松田組が経営するギャンブル場に出入りしていたことから松田組の大日本正義団に入ったということですね。そしてこのときから徐々に松田組と山口組の関係が悪化していき、最初は山口組と松田組の組員同士の争いでしたが、松田組が山口組の本部に銃弾を撃ち込んだことから抗争が激化していきます。そしてこの延長線上で大日本正義団の会長である吉田芳弘が射●されました。吉田芳弘が車に乗ろうとしたときに山口組系佐々木組組員二人が吉田芳弘を●しました。鳴海清は吉田芳弘を慕っており、●されたことから山口組に対して復讐することを決めたということですね。ここから鳴海清の行動について注目していきます。

成海清が起こしたベラミ事件について。

鳴海清は吉田芳弘を●されたことから山口組に対して報復することを決めて、山口組佐々木組の田岡組長を●す計画を入念に考えていたということが分かっています。田岡一雄が京阪三条駅前にあるベラミというナイトクラブに来るという情報をつかんで何回も下調べをしていたと言われています。そして1978年7月11日に田岡一雄がベラミでダンスのショーを見終わった後に襲撃します。鳴海清が田岡一雄に鉄砲をうち首元に当たったと言われていますが、田岡一雄は一命をとりとめたということです。鳴海清は田岡一雄を●したと思ったようですが、計画は失敗に終わります。そしてこのベラミで鳴海清の指紋があったことから犯人は鳴海清ということが分かります。そしてここから山口組の復讐が始まります。山口組が本気で動き出し、松田組は幹部が7名●されるという事態に陥ります。気になるのはこのベラミ事件の後に鳴海清はどうなったのか?ということですね。そのことについて調べていきます。

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ベラミ事件のその後に成海清はどうなったのか?

鳴海清は事件後に遺体となって発見されます。この遺体の状態が悲惨だったということが分かっています。六甲山に遺体が破棄されており、最初は誰だか全く分からないということでしたが背中にある天女の刺青(てんにょのいれずみ)から鳴海清であることが判明しました。また鳴海清は自分の子供の写真をもっていたことからも分かったということです。子供については記事後半部分で触れていきます。鳴海清の遺体ですが、体のあらゆるところに傷があったことや●器を切り取られていたという悲惨さでした。この犯人は山口組なのかと思いますが実は松田組から5人が逮捕されていますが誰が●したのか?ということの真相は分からないということでした。真相が分かりませんが、実際には山口組が犯行に及んだが松田組が犯人になったのではないか?とも言われていますが真相が分かりません。最後に鳴海清の家族について調べていきます。子供がいるということですが少し複雑ということが分かっています。

鳴海清の妻には子供(息子や娘)がいるって本当?

鳴海清の遺体から息子と娘の写真があったことから2人の子供がいたということが分かります。鳴海清には結婚した嫁がいるということはわかっていますが、実はこの息子と娘という2人の子供は愛人との間の子供ということです。鳴海清は結婚した嫁との間には子供はいなかったみたいですが、愛人との間に2人の子供がいたということですね。ベラミ事件の前に鳴海清は嫁と愛人と3人で食事をしてもしものときは頼むと言っていたようですね。気になる鳴海清の息子と娘ですが情報が全くなくわかりません。ということで今回は鳴海清に関する気になる情報について調べてみました。最後までご覧いただきましてありがとうございました。

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