今回は山口組の三代目田岡組長こと田岡一雄について調べていきます。今もなお多くの人が関心を持っている田岡一雄ですが、人々がなぜこの田岡一雄に関心をもつのか?ということや気になる本人の情報についてまとめていきますので最後までご覧いただければと思います。ということで早速書いていきます。
田岡一雄の出身や生い立ちについて。
田岡一雄の出身や生い立ちについて調べていきます。徳島県三好郡三庄村で生まれたということが分かっていますが、家庭は経済的に貧しかったようです。田岡一雄の母親は小学校一年生の時に亡くなっているみたいですね。田岡一雄は5人兄弟であるということで女の子3人そして男の子2人で田岡一雄は弟ということですね。そしてその後に山口組の組員となるわけです。そしてなぜ田岡一雄に多くの人が注目するのかということですが、田岡一雄が山口組の三代目になったときに組員は三十数人だったと言われていますが、そこから山口組をどんどんと大きくしていきました。ここからそのことについて注目していきます。
田岡一雄が山口組を規模拡大にした件について。
田岡一雄は組員が少なかった山口組を全国規模に拡大していきます。いったい何をしていたのか?ということですが、大きくいってふたつあるということです。まずひとつは芸能関係の興行です。今では多くの人が知っている美空ひばりの後見人となり、美空ひばりの知名度拡大に尽くしていました。田岡一雄は自らで神戸芸能社という芸能事務所を設立しています。今でも聞きますが興行というもののは暴●団が関係しているということが言われますが、まさに田岡一雄は芸能界とつながっていたということですね。そしてもうひとつが神戸港の港湾事業に深く関係していました。田岡一雄は甲陽運輸株式会社というものを自ら作ってここから大きく様々なことを変えていきます。この港湾事業では労働者の環境が悪いということからそのことをなんとか変えようと考えて寮をつくったり、病院を作ったりもしていました。しかしこの当時山口組の規模が大きくなっていたことから、警察にマークされてこの神戸港の港湾事業をいろいろと調べられたことで田岡一雄は港湾業務から撤退したと言われています。その後甲陽運輸株式会社の脱税が発覚したりということもあり、山口組はこの神戸港の港湾事業を完全に手放したということですね。実は山口組にとってこの港湾事業は大きな資金源だったということなので痛手だったでしょうね。さらに田岡一雄はこの当時プロ野球に関して興行がびったりくっついていたことが気に入らないということで野球に関しては野球は興行をなしで楽しめるようにということを山口組をあげて取り組んでいたということも分かっています。さらに田岡一雄のすごいなと感じる内容ですが、麻薬撲滅について活動していました。田岡一雄は自分が大切にしていた子分が覚●剤で俳人になったことから薬物が嫌いでこのような運動もしていたということです。このようなことから考えると田岡一雄はすごい男だと思いますね。最近の山口組は●物をしているのかもしれませんが、この田岡一雄の考えが届けばいいなと僕は感じます。そして多くの人が気になる嫁について調べていきます。
田岡一雄の嫁・田岡文子(たおかふみこ)について。
田岡一雄の嫁は田岡文子という女性ですが、この人は田岡一雄が心筋梗塞という病気で倒れた後の山口組を実質的に行っていたことから3代目姐(さんだいめのあね)と言われていました。そんな田岡文子ですが、1986年に他界されています。そして最後に田岡一雄について触れていきます。
田岡一雄の末路について。
田岡一雄ですが心筋梗塞で倒れてその後に急性心不全で亡くなっています。田岡一雄は人数も少ない山口組を大きくしたことで警察に睨まれていましたが、その行いは単なる暴●団の組長という領域を超えていたのではないか?と僕は思います。そのようなことから田岡一雄については今もなお関心がもたれるんだろうなという感じですね。ということで今回の記事はここで終わりです。最後までごらんいただきましてありがとうございました。