今回は大西政寛について調べていきます。悪魔のキューピーという称号がありますが、なぜそのようなことが言われるのか?ということや気になる情報について触れていきますので最後までご覧いただければと思います。
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梅宮辰夫が昔出演していた仁義なき戦いは実話だった件について。
多くの人から人気を得ていた今は亡き梅宮辰夫ですが、昔仁義なき戦いに出演していました。この仁義なき戦いは実話です。そして梅宮辰夫が仁義なき戦いの中で演じていた役について衝撃的なことがあったということが分かっています。いったいどのようなことなのか?ということについてここから書いていきます。
若杉寛のモデルとなっている人が大西政寛です!
梅宮辰夫が演じていた役の若杉寛ですが実際にいた人物です。それが今回の大西政寛です。仁義なき戦いの中で若杉寛は警察官に撃たれたことで亡くなりますが、大西政寛の最期も警察官に撃たれて亡くなるんですがこの撮影現場になんと大西政寛の身内がきてそんな言葉はいっていないと梅宮辰夫は言われたみたいです。梅宮辰夫は台本通りに演じていたのに困ったといっていたようです。そしてそのあとはよりよく演じるようにこころがけたという話があります。大西政寛という人はいったいどんな人なのか?また称号はなぜついたのか?ということについて調べていきます。
悪魔のキューピーの本名は大西政寛だがこの由来は小原馨との関係からきていた!
大西政寛は実は893になる前から狂暴だったということが分かっています。大西政寛は絵が好きだったということが分かっていますが、13歳の時に学校の教師に絵ばかり描いていてペンキ屋になるのか?というようなことをいわれてこの教師を暴行して学校を辞めさせられています。その後に食堂で大西政寛がビールを飲んでいたところ海軍の軍人が大西政寛に対してビールを飲むにはまだ早いというようなことをいってきてそのことから大西政寛は頭にきてその軍人のお腹を包丁で刺して耳を切り落としたという情報があります。このような大西政寛ですが、ルックス的には非常にイケメンです。そんな大西政寛が盆踊りの時に小原組の組長である小原馨の腕を切り落としました。さらに小原馨の舎弟の腕も切り落としたということからこのことで悪魔のキューピーという称号が付いたと言われています。気になるのが大西政寛はその後どうなったのか?ということについて調べてみました。
悪魔のキューピーは若くして死亡したが今もなお伝説として語られている!
大西政寛は様々な悪さをしていたことから刑務所に入っていましたが、実は刑務所で自分のお腹をかみそりできって刑務所を保釈で出てきます。この時代は病人は刑が止まって保釈される時代だったことからこのことを逆に大西政寛は自分のお腹をきって腸を持って病院に行ったという情報があります。かなりすごいなという感じですね。そしてその後は同じ苗字の大西という人間に因縁をつけられて、その因縁をつけた人物を●しました。そんな大西政寛ですが、最期は多くの警察官と銃撃戦になって警察官を二人●しましたが、警察官に後ろからうたれて死亡しました。若くして亡くなった悪魔のキューピーこと大西政寛は今もなお伝説として語り継がれています。ということで今回の記事はここで終わりです。最後までご覧いただきましてありがとうございました。