カルト宗教とはどのようなことで裏側で何が行われているのか?を考察!

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今回はカルトについて考えていきます。カルト宗教はいったいどういうことが行われているのか?ということを分かる限り調べてまとめていきますので最後までご覧いただければと思います。

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カルトは宗教団体以外にもあるということです。

今回はカルトあるいはカルト宗教ということを考えていきますが、最初に大切なことについて少し触れていきます。カルトというのは宗教だけではないということです。謎のことを語る政治団体やあるいは人間が変われるとかという謎の自己啓発といったものも大きく言うとカルトに含まれますので注意が必要ということです。そして多くの人が耳にしたことのあるカルトという言葉ですがいったいどういう意味というか何を定義しているのか?ということについて調べていきます。

カルトとはどういうことなのか?

カルトの定義というのが難しいところですが、このようなことなのではないか?と僕は思います。

■カルトとは1人のカリスマがおり何かしらの偏った考えや運動をするということ。

カルトの昔の意味は儀式を行う寺院を作りあるきまった神を信仰していたということですが、どんどんおかしな方向へいったと考えられます。カルトあるいはカルト宗教の行動や活動ですが最初は目立たないようなかんじでそこから社会に入り込んできます。さらにカルトの手口ですが中に囲い込んだメンバーを外部との関係をたちきらせ内側で直接支配するということです。家族や友人と分断させて疑問点をもたせないようにして金融資産を奪うということも行います。やりかたがひどいと思います。このようなことをするためにカルトのリーダーは求心力が必要なので権力や金やセ●●スということをして人を説得させて従わせるという構造をとると言われております。ここで気になるのがいったいどのような人がカルトに入ってしまうのか?ということを調べていきます。

カルト教という宗教にはまる人の特徴について。

カルト教に狙われる人の特徴があると言われております。今はネット社会ですが実はリアルから迫ってくるのではないか?という可能性が考えられます。

■新しい地域に来た人

■仕事や何かしらのことに満たされていない人

おそらく新しい地域に来た人は不安があるから狙われるのか?と思います。また満たされていない人も不安や心の隙間に入り込まれ仲間であるという意識を植え付けさせるということが行われているのではないか?という疑惑が考えられます。弱らせることから信じ込ませるという手口をとっているのかもしれないです。このような構造から初めのころはリーダーのカリスマ性で信者を集めていきますが、人を囲むことで古いメンバーが新しいメンバーを集めていくというように広がっていくと言われております。裏側でこのようなことが行われているということみたいです。またこのことに関する複雑な点に関しても触れていきます。

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怪しい宗教団体になぜ入信するのか?という巧妙な手口を考察!

カルトや怪しい宗教団体になぜ人が入信するのか?ということも裏側に隠されていることがあると言われております。カルトに誘ってくるのが家族や友達や同僚といった人間が分からないように勧誘しているといったことがあるということです。さらに身近な人間の誘いということで断りずらい状況からカルトに入ってしまうといったことが言われております。このような形で来られると厳しいなと思いますがこういうことをあらかじめ考えて行ってる可能性が高いと思います。僕がリサーチした感じですがこのような感じで入信してしまいカルト内に入ると外部との批判や非難を排除するということをするでしょうから内側に深く入ってしまうといったことが考えられます。また内側には階級があるということも言われているのでカルト内部で疑問を持たないようにいろいろなことをプログラムが行われ疑問をかりとられコントロールされて馴染ませるといったことを行っているのではないか?ということが考えられます。またカルト内部に入ると自分がカルト集団に認められたいという考えやカルトから報酬が欲しいということから積極的に行動すると言われております。このようにどんどん活動をする人間を増やしていき活動を増やしていっているのではないか?ということが考えられます。非常に恐怖だと思います。きっとカルト内部に入ると心理的なことや感情的なことが奪われてしまい、個人の言論などはなくなってしまうと考えられます。最後にカルトの基準について考えていきます。

何がカルトなのか?という判断基準について。

実はカルトあるいはカルト宗教というものの難しいところがあります。カルト宗教といいますが、宗教ということであれば信仰の自由というものがあるのでこのことから信じても救うことができないということになります。宗教として明らかにおかしなことをしたときは取り締まりができますが、そうでもなければなかなか難しいという現実があります。何がカルトなのかという判断基準のひとつとして考えられることが他人を犠牲にするという考えが出たら疑った方がいいと僕は思います。他人を犠牲にするという考えがおかしいと思います。何を信じるかというのは自由でしょうが他人を犠牲にするということは言い換えれば他人を悪用としているのではないか?という可能性があるのでカルトなのではないか?ということが考えられます。いろいろなところにカルトがあるでしょうから惑わされないようにしていくことが大切だと思います。今回の記事が何かしらの参考になっていただければと思います。今回はここで終わりです。最後までご覧いただきましてありがとうございました。

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