船坂弘(ふなさかひろし)という最強の兵士について考察!

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今回は船坂弘という最強の兵士について調べていきます。このような兵士はいないと言われる伝説の兵士です。また船坂弘に関する情報についても触れていきますので最後までご覧いただければと思います。ということで早速書いていきます。

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船坂弘は日本軍の中で最強というよりも世界でも最強の軍人です!

今回調べていく船坂弘ですが、子供のことから喧嘩が強くガキ大将をしていたと言われています。その後に陸軍に入ります。船坂弘が日本あるいは世界の中で最強の軍人と言われる理由としてはアウンガウルの戦いにおいて日本とアメリカの兵隊数で日本が圧倒的に不利だった状態ですが、そのなかでアメリカの兵士100人以上●傷したことで周囲がすごい人だと認識します。アウンガウルの戦いでは船坂弘は左足に銃弾が当たり、時間が経過したことから医者がその状態をみて助かるのは難しいのではないか?と言われましたが自分で足を止血して敵陣地にいったりしていたんですがそのいうななかで左足が少しずつ動くようになって数日後には完全に歩けるようになったということです。本人は生まれつき体質的に傷が治りやすいといっていましたが、奇跡的だと思います。さらにこの後に食べ物や飲み物がなくなった船坂弘は傷をおってその傷がなおらず傷口に虫が湧いてもうだめかと思い自ら命を絶とうとしたんですがそのときの手榴弾が爆発しなかったということから生きる道を考えます。そしてアメリカの司令部にいって自らの身体に爆弾をつけてアメリカ司令部こと吹き飛ばそうと接近していきます。そして船坂弘はアメリカ司令部にたどりつき自分の手で手榴弾と拳銃で戦う姿勢を見せていた状況をみてアメリカの軍隊は固まっていたと言われています。船坂弘は戦争で身体の数十か所に傷を負っていましたが、それでも気迫でこのようなことを成し得たということでしょうね。このことがおそらく評判になっていくということでしょうね。そのことについてここから触れていきます。

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船坂弘の海外の反応について。

船坂弘が手榴弾と拳銃で戦う姿勢をみせたことはこの行為がはらきりだ。日本の侍のみができる勇敢な死に方といったことと言われていることだと思います。海外の反応は船坂弘はすごく勇敢な人間だと思われているということでしょうね。さらにこのことに関する気になる情報について触れていきます。

船坂弘とクレンショー伍長の関係について。

船坂弘はアメリカ軍の飛行場に放火しようと試みますが、この前にアメリカのクレンショー伍長にばれますが、クレンショー伍長はアメリカの上には報告せずに命を大切にしなさいというようなことを言われます。そしてここから船坂弘とクレンショー伍長の関係がよくなり、クレンショー伍長は日本に帰国したら国の復興に励んでくださいということをいっていたことから船坂弘とクレンショー伍長は良好な関係になっていきます。このことから日本に帰国した船坂弘はクレンショー伍長に多数の手紙をだしていたということです。船坂弘はクレンショー伍長がどうしているのか?ということをずっときにして手紙をだし続けてその結果手紙が届き死ぬまで友人関係が続いたということが分かっています。船坂弘にとっては命の恩人ということだったということで、その後もよい関係が続いていたということだったんですね。最後に船坂弘が帰国後にどうしていたのか?ということについて触れていきます。

船坂弘は日本で大盛堂書店を始めた。その後は子孫があとを継いだのか?

日本に帰ってきてから船坂弘は教育の一環ということで本屋を経営しようと考えます。そこから渋谷で大盛堂書店を始めます。また舩坂弘は自ら本を書いていますがこの本の印税は国際赤十字社の寄付しています。世界の人の役に立ってもらいたいという願いから寄付しているということみたいです。船坂弘は2006年に亡くなっていますが、気になるのは大盛堂書店はどうなったのか?ということですが、子供である(息子である)舩坂良雄が2代目をついているということです。船坂弘の子孫についてですが、舩坂良雄という息子がいるということだけわかっています。嫁の情報や他に子供がいるのか?という情報がないので分かりません。船坂弘は軍人としてもすごいですが、本をかいてその印税を寄付しているところもすごいですね。ということで今回の記事はここで終わりです。最後までご覧いただきましてありがとうございます。

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