今回は渋谷のチーマーである宇田川警備隊について書いていきます。またこの周辺情報である気になる内容に関しても触れていきますので最後までご覧いただければと思います。ということで早速書いていきます。
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チーマー(ちーまー)とはどういうことかについて。
この記事をご覧の読者さんもチーマーという言葉を聞いたことがあると思いますが、明確にどういうことなのかということですが自分たちのことをチームと呼びそこにerがついた日本語と英語が組み合わさってチーマーとなったと言われています。チーマーという単語が多くの人に認知されたのは渋谷センター街に集団で集まったことから始まったと言われています。このことに関する気になる情報について触れていきます。
渋谷のチーマーで有名だった宇田川警備隊やブットバスについて。
チーマーにはいくつも種類があったと言われています。その中でも有名だったのが宇田川警備隊・ブットバス・topj・kgbと言われています。今回はその中で宇田川警備隊について調べていきます。注目された大きな理由としてはこのようなことがあります。
渋カジといわれた宇田川警備隊というチーマーのファッションについて。
宇田川警備隊の注目された理由に服装がおしゃれだったということがあります。二代目チャイは原宿のラフォーレの看板モデルになったこともあり、通称渋カジと言われていました。宇田川警備隊のメンバーはバックドロップという店で買い物をしていたということです。どのような服装だったのかということですが・・・
レッドウィングのブーツ、VANON、皮ジャン、ベースボールキャップ、アディダスのスニーカー、バンダナ、そしてバタフライナイフ。これがチーマーの基本ファッションだった。
僕はちょうどこの世代なのでここらへんの服装が分かります。当時なかなかレッドウイングのブーツはかえなかったと思います。値段がたかかったけどすごく人気がありました。そしてこの宇田川警備隊に関して大きな話題になったのがこの内容です。
宇田川警備隊・高山尚基とジョーカー横浜・永野明義が激しく対立していた。
宇田川警備隊と横浜ジョーカーの対立した事件が大きく注目されました。永野明義という横浜の不良である横浜ジョーカー軍団が宇田川警備隊の高山尚基(たかやまなおき)に喧嘩をうったんですが、横浜のジョーカーが勝ったということです。当時この宇田川警備隊の高山尚基はテレビにも出ており喧嘩も強かったですが、それ以上にこの横浜ジョーカーが強かったということでしょうね。そしてここから渋谷のチーマーについてもう少し深く調べていきます。
関東連合で今指名手配中の見立真一が渋谷を黙らせていた!?
実は今現在六本木クラブフラワー事件で指名手配中の見立真一ですが、この当時見立真一が渋谷のチーマーに対して圧力をかけていた。チーマー狩りをしていたという情報があります。この後触れますがtopjも関東連合の見立真一には勝てなかったということです。この当時の渋谷の利権に関してはのちの関東連合のトップである川奈毅がすでに牛耳っていたと言われています。この時点ですでに関東連合は勢いをもっていたということです。そしてこのtopjについて少し触れていきます。
伝説のチーマーと言われていたtopjの田丸大は関東連合に入った。
田丸大というtopという伝説のチーマーと言われている田丸大ですが、topjを一年でやめてその後は用賀喧嘩会(ようがけんかかい)にはいり、その後に関東連合へと入っていきます。用賀喧嘩会が関東連合と繋がりがあったのではいったとも言われていますが、田丸大が関東連合に入ったということはわかりますがどのような経緯で入ったのか?という明確な経緯は分かりません。そして不良ということやしかも喧嘩がものすごく強いよいうことで知られている人物について最後に少しだけ触れていきます。
武闘派の芸能人として有名な宇梶剛士について。
七代目ブラックエンペラーの総長で武闘派だったことが知られている宇梶剛士(うかじたかし)ですね。芸能人でこの当時暴走族だったヒロミも宇梶剛士に対して怖すぎてちかつけなかったといっています。暴走族2000人を束ねており、この当時の宇梶剛士は冷酷非道なことをしていたと言われていますが、当時の詳しい情報に関しては分からないということです。今ではいい役者ですが、すごい過去を持っているということですね。宇梶剛士は自分が過去に不良であったことを告白しており、このようなことを言っています。
過去の自分も、今の自分もすべて自分自身。今を積み重ねることでしか、未来に参加することはできない
この宇梶剛士の本人コメントはすごく深いなと思います、ということで今回は宇田川警備隊を中心に気になる情報について触れてみました。ということで今回の記事はここで終わりです。最後までごらんいただきましてありがとうございました。