熊谷でおきた小学生の男の子のひき逃げ事件について考察!

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今回は熊谷でおきた小学生の男の子のひき逃げ事件について調べていきます。小関孝徳君という男の子が車にひかれて亡くなった事件ですが、犯人がわからずに母親ができるかぎりのことをしています。この事件に関して気になる情報を中心にまとめていきますので最後までご覧いただければと思います。

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小関孝徳君のひき逃げ事件はどのようなものだったのか?

熊谷でおきた小学生の男の子のひき逃げ事件ですが、2009年9月30日の夜の6時50分頃に発生しました。小関孝徳君が家に帰る途中におきました。事件が起こった場所は車がスピードを出して走る危ない道でした。この事故が起こった道ですが本来は時速30キロということですが夜になると車は時速60キロで走っていたということです。このような状況下で起こった事故ということだったんですね。小関孝徳君は交通事故にあったあと遺体の損傷がひどかったために母親が見ると衝撃ということで学校の教頭と担任の先生が見たそうです。そこまでひどいひき逃げ事故だったんですね。通常のひき逃げ事件は犯人が逮捕されるケースが高いんですが、小関孝徳君の事件は犯人が全く見つかっておりません。いったいなぜなのか?ということについて考えていきます。

小関孝徳君のひき逃げ事件の何かしらの情報はないのか?

ひき逃げ事故とということですがひき逃げした車と被害者の何かがあたっていたことから事件現場に何かしら車の塗料であるとか何かしらの手掛かりはなかったのでしょうか?事故の目撃者もいないことや事故に関して警察は何も言わなかったと言われております。そのようなことですが実はあることがわかっております。警察の捜査では言われておりませんでしたが、民間の記録では小関孝徳君と自転車は8メートル離れていたということを分析しました。警察はこの件に関しては答えていないということですが小関孝徳君は2台の車にひかれたという可能性が高いということです。倒れたところを2台目の車がひいたという可能性です。ひどい話です。気になるのはなぜこの部分を警察は触れなかったのでしょうか?警察は小関孝徳君は2台の車にひかれたということを分かっていた可能性が高いと思いますが。さらにありえないことを警察はしております。

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小関孝徳君のひき逃げ事件に関して警察が何かを隠している疑惑について。

小関孝徳君が亡くなった時にしていた腕時計を警察が紛失したということが分かっております。このようなことで県警の警部補が在宅起訴になっております。いったい何をしているのでしょうか?またこのようなこともわかっております。

交通捜査課でひき逃げ事件の担当だった須郷被告は27年9月、小関さんが事件当時に身に着けていた腕時計など、遺族から任意提出を受けた証拠品を記した関連文書を、シュレッダーで裁断し破棄したとしている。

この引用記事情報から警察の行っていることの異常さがわかります。なぜ警察は証拠品をシュレッダーにかけたんでしょうか?このことから分かることは何かしらのことを警察は隠している疑惑が浮上します。警察も小関孝徳君が2台の車にひかれたということをわかっていたのではないでしょうか?しかしそのことを隠していた可能性があります。なぜ警察は隠すのでしょうか?他にも何か隠しているのではないか?という疑惑を持ちます。小関孝徳君の後頭部を車がひいたということがわかっているので警察は分かっていたはずです。しかし警察は隠していたということです。この事件でも警察に何かしらの圧力がかかっているのか?という不安を感じます。このようなことがありましたが、小関孝徳君の母親はできるかぎりのことをされています。ここからそのことについて触れていきます。

小関孝徳君のひき逃げ事件は2029年まで捜査ができるので事件が明らかになりますように!

小関孝徳君の母親はできるかぎりのことをしたことから2019年の9月18日が時効でしたが、罪が変わり2029年まで捜査ができるようになりました。犯人が事件の後も分からない状態ですが、小関孝徳君の母親は真実が分かるまでずっと犯人を追求されるといっています。2029年までが勝負となります。警察に何かを隠されながらもできるかぎりのことをしている小関孝徳君の母親の想いが通じて事件の真相と犯人が逮捕されることを僕も願っております。ということで今回の記事はここで終わりです。最後までご覧いただきましてありがとうございました。

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