今回は吉本興業と山口組の関係について調べていきます。多くの人が関心を持っている内容だと思いますが、なかなか難しい内容なので分かっている情報を組み合わせて考えていきたいと思いますので、最後までご覧いただければと思います。ということで早速書いていきます。
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吉本興業と暴力団(山口組)は繋がりがあるのかな?
多くの人が関心を持っている吉本興業と山口組の関係です。少し前に吉本の芸人の闇営業が明るみになったあたりから関心が一気に高まったのではないか?と思います。ただしなんとなく繋がりがあるのかな?とかそのような話は聞いたことあるけどどうかなと思われるかもしれません。このことが分かるには昔のことを調べていくと分かってきます。ということで過去についてここから調べていきます。
吉本興業の歴史について調査してみるとヤクザとの関係も判明する?
吉本興業の歴史について調べていくとあることがわかります。吉本興業は吉本吉兵衛・せい夫妻が昭和45年に始めましたが、ここから漫才で人気を得ていきます。どこでどのように関係してくるのか?ということですが、山口組は山口春吉という初代の組長が神戸の沖仲仕(おきなかせ・おきなかし)という労働者を集めたことが山口組の始まりと言われています。この労働者たちが働いた後に漫才をみるということが開かれたと言われており、この席に吉本興業がきていたということです。つまりこのときから吉本興業と山口組は関係を持っていたということです。そこから興行に山口組が深くかかわってきたということです。そして山口組の興行を確固たるものにしたのが山口組の3代目組長の田岡一雄組長ということです。ここからはそのことについて触れていきます。
美空ひばりと山口組・田岡一雄組長の関係について。
美空ひばりと言えば昭和の歌手としてすごく有名な人ですね。そしてこの美空ひばりですが、山口組の田岡一雄と親しい関係にあったということが分かっています。その経緯について調べていきます。田岡一雄組長は美空ひばりのことを可愛がっており、美空ひばりもまた田岡一雄組長のことをおじさんと呼んでいたようです。田岡一雄が自ら作った神戸芸能社という芸能事務所の傘下にひばりプロダクションが作られここの副社長を田岡一雄がしていたということです。美空ひばりと田岡一雄の信頼関係はすごくつよく、美空ひばりはおじさんがいてくれると安心というようなことを言っていたり、美空ひばりと小林旭の結婚や離婚の後見役も田岡一雄がしていたということがわかっているので親しい関係にあったということですね。このことがあったのが1960年頃ということなので、ここから現在までの間山口組は興行に長期的にかかわっているということがわかります。ここまでの流れを踏まえると実はあることが分かってきます。そのことについて調べていきます。
昔から興業にはヤクザが必要だったことから吉本の芸人の問題も解釈可能か!?
吉本興業の闇営業の時にこのような情報が出たことがあります。
大崎洋(おおさきひろし)会長が僕らのマネージャーをしとった時にヤ●ザの仕事を持ってきて、それに行ってんねんから、何回も。それを出さんとええカッコ抜かしやがって
吉本興業の会長が893の仕事持ってきたという話ですが、ここまでの話を踏めると何もおかしくないと思います。僕がリサーチした感じですが、田岡一雄組長の祝い事には吉本の芸人に声がかかっていたとも言われています。さらに田岡一雄組長が亡くなった時の追悼には吉本の芸人は会社命令で参加させられたということです。ここには山城新伍や菅原文太もいたと言われています。このことを考えると山口組と吉本興業の関係はずぶずぶと考えられますね。吉本の会社命令で参加したというあたり本当にすごいなと思います。吉本興業と山口組は親しい間柄ということなので吉本の芸人の闇営業問題というのはそのことが表面化した氷山の一角なのではないかと僕は思います。今回は山口組と吉本興業の関係について調べてみました。ということで今回の記事はここで終わりです。最後までご覧いただきましてありがとうございました。