特攻隊の遺書や手紙について考察!

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今回は特攻隊の遺書や手紙について調べていきますので最後までご覧いただければと思います。

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特攻隊の遺書や手紙についての気になる情報

考えると胸が痛くなる内容です。

日本は戦争など二度としてはいけないと心に刻む内容です。

多くの人が気になる内容から調べて書いていきます。

特攻隊員

聞いたことある単語ですが今一度確認します。

生還を前提としない体当たり攻撃を命じられた若い兵士たち。多くは10〜20代。

ありえない。

あってはいけないことです。

さらに続いていきます。

特攻隊員の本音

本音がなかなか明かされないということですがこのような情報がわかっています。

公的な遺書は勇ましい表現が多いが、私的な手紙には「生きたい」「怖い」などの本音がにじむこともあった。

これが本音です。

死ぬとわかっているわけですから。

最後の特攻隊

このような情報です。

終戦直前の1945年夏まで続いた特攻作戦の最終出撃部隊を指す

ということです。

神風特別攻撃隊の生き残りや特攻隊生き残り有名人

この単語も非常によく検索されます。

神風特別攻撃隊生き残り
出撃前に終戦を迎えた人や、機体トラブルなどで帰還した隊員が戦後に証言を残している。

特攻隊生き残り有名人
特攻訓練や出撃予定だったが戦後を生きた元隊員の中には、作家・政治家など著名になった人もいる。

ということです。

特攻隊の遺書や手紙についてさらに深く調べていきます

ほとんど語られない内容についてわかる限り調べていきます。

特攻隊遺書の遺書に書かれていたお母さんという言葉

日本の特攻隊を美化する人間がいますがいくつもの遺書の中に共通して書かれていた言葉がお母さん。

死ぬとわかっている片道の燃料しかはいっていないものに乗ることの恐怖。

戦争中も関係ない。

これが本当のことだと思います。

太平洋戦争で日の丸特攻隊(神風特攻部隊)となった人の心中

太平洋戦争で日本軍が講じた日の丸特攻隊別名神風特攻部隊という究極の悲劇です。

特攻隊遺書の背景

この神風特攻部隊というのは片道分の飛行機の燃料しかなく、この飛行機に乗って敵に突っ込んでいくというものであり、この飛行機に乗るということはつまりは自分の人生の最後を決めるということでした。

恐怖でたまらなかったと思いますが、神風特攻部隊として亡くなる前に書かれた手紙や遺書があります。そのことについてここから触れていきます。

涙腺崩壊する特攻隊の手紙や遺書

自分の命と引き換えに敵に体当たりしていくしかなかった神風特別攻撃隊の人がその前に書いた遺書や手紙があります。

その内容をみると涙が止まらないくらい悲しい内容が書かれています。今回はその中で特に胸を打たれる2通の遺書と手紙について紹介していきます。まずは母親にあてた手紙について触れていきます。

母上様お元気ですかということから始まる母親への手紙

まずは特攻隊員の手紙の内容を紹介していきますが、この手紙を書いた特攻隊員はまだ10代の人でしたが、使っている言葉や精神性が非常に高いと思います。

母上様御元気ですか永い間本当に有難うございました
我六歳の時より育て下されし母継母とは言え世の此の種の母にある如き
不祥事は一度たりとてなく慈しみ育て下されし母
有難い母尊い母俺は幸福であった

ついに最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺幾度か思い切って呼ばんとしたが何と意志薄弱な俺だったろう母上お許し下さい
さぞ淋しかったでしょう今こそ大声で呼ばして頂きます
お母さん お母さん お母さんと

この特攻隊員の人は母親に対する言葉使いがすごくなっていますね。厳格な環境のもとで育ったことが分かる母親への手紙ですが、内容は自分は幸せだったと書いています。

特攻隊遺書の言葉にならないメッセージと心情

神風特別攻撃隊として飛行機に乗ったらもう相手に体当たりしていくことで自分は生きていることができないということを分かったうえで最後に手紙でお母さんと書いているあたりに読んでいて泣きそうになります。

そしてこの手紙(遺書)を書いて自らの命と引き換えに敵に突っ込んで亡くなったということです。きっと母親にこの手紙を書いているときには人生の最後を決めなくてはいけない恐怖しかなかったはずでしょうが、そのことには触れずにお母さんと呼んで亡くなって言ったあたりが本当に悲しすぎる内容だと思います。

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涙なくして読めない文章です。

そして2通目の手紙(遺書)について触れていきます。

穴沢利夫の恋人へ送った手紙(遺書)

この手紙(遺書)も読んでいると泣きます。穴沢利夫という人が恋人に向けて書いた手紙について紹介します。

二人で力を合わせて努めて来たが終に実を結ばずに終わった。

希望も持ちながらも心の一隅であんなにも恐れていた“時期を失する”ということが実現して了ったのである。今は徒に過去に於ける長い交際のあとをたどりたくない。問題は今後にあるのだから。

常に正しい判断をあなたの頭脳は与えて進ませてくれることと信ずる。

然しそれとは別個に、婚約をしてあった男性として、散ってゆく男子として、女性であるあなたに少し言って往きたい。

あなたの幸を希う以外に何物もない。

徒に過去の小義に拘るなかれ。

あなたは過去に生きるのではない。

勇気をもって過去を忘れ、将来に新活面を見出すこと。

あなたは今後の一時々々の現実の中に生きるのだ。

穴沢は現実の世界にはもう存在しない。

智恵子。会いたい、話したい、無性に。

今後は明るく朗らかに。

自分も負けずに朗らかに笑って往く。

この手紙の中に書かれている穴沢は現実の政界にもう存在しないという表現ですが、神風特別攻撃隊として飛行機に乗ると自分の人生の最後であることが分かっていたからこのような表現をしたんでしょうね。

この手紙(遺書)を書いた本人も辛かったでしょうし、受け取った恋人も辛かったとしか思えません。穴沢利夫は自分は神風特別攻撃隊として人生の最後を決めても恋人には今後幸せになってもらいたいということを願って書いた手紙ということです。

そして手紙の最後にこの恋人に会いたい・話したいと書かれていますがきっと話せずに飛行機に乗って亡くなっていったのではないか?と思います。

本当につらすぎる内容だなと僕は思います。そして実はこの遺書についての海外の人たちの反応があるのでそのことについて触れていきます。

神風特攻隊遺書に関する海外の反応

神風特攻隊員の遺書については海外からの反応は尊敬というか肯定的な意見がとても多いということです。日本国のために命をささげるのが英雄だというような反応が多数あるようです。

外国人の反応も最後に特攻隊員が言った言葉はお母さんだったのではないか?という憶測をしている人がいました。僕も高校生の時に歴史の授業でこの神風特攻隊の話を聞いたときに歴史の先生がこの特攻隊の人は最後にお母さんと言って飛行機に乗っていったというような話を聞いたことを今でも覚えています。

この神風特攻隊の人達から感じることはたくさんあります。そしてここからはこの特攻隊の人とその遺書についてもう少し書いていきます。

知覧特攻隊とは知覧特別攻撃隊のことを指しています。

実はこの特攻隊の中でも知覧特攻隊(ちらんとっこうたい)という言葉があり、実はこのことが重要なことに関係してくるのでそのことについてこの段落で書いていきます。

実は知覧特攻隊となぜ言われるのか?ということですが、全特攻の約半分がこの知覧基地から出撃したということなんですね。

知覧特攻平和会館には特攻隊員の遺書が今も残されています。

知覧特攻隊の方が書いた遺書が知覧特攻平和会館という鹿児島に今も残されています。太平洋戦争が終わって70年がたちますが、神風特攻隊の人たちのことを考えると胸が痛くなることばかりです。

あまり注目されないですが実はこのことが本当だと思います。

考えればわかることです。

特攻隊員の本音は死にたくないというはずだったはずの特攻隊遺書

ほとんどいわれないですが死にたくないという気持ちでなくなっていったと僕は思います。

分かっていることですがチョコレートに薬物を食べさせていたということがわかっています。

意識をわからないようにさせて片道の燃料の飛行機に乗せたのではないでしょうか?

国のためにといわせて。

どうかしているとしか思えません。

ここまでの内容をまとめます。

特攻隊の遺書や手紙についての総括

過去の歴史や戦争ということは様々なことを伝えてくれるのではないかな?と思います。よく生と死についてとかという内容について考えることがあると思いますが、本当にこの神風特攻隊の人たちから感じることは多いなと僕は思います。

神風特攻隊の遺書や手紙について思うことを書いてみました。

涙なしには読めない内容です。

二度と戦争を起こしてはいけない!!!

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